新緑めぐり 根岸森林公園 [旅 関東]
風薫る5月。
横浜での新緑めぐり、三渓園に続いては根岸森林公園。
三渓園を出て本牧バス停からJR根岸駅まで約10分。駅前から住宅街の間の細い道、抜け道の急な階段を昇り、およそ15分ほどで根岸森林公園の入り口に到着。
横浜は日本で最初に洋式競馬が始まった場所とのこと。
1867年、もともと居留外国人の娯楽として始まった根岸競馬場は、やがて日本人も加わった社交場として賑わい、1942年まで76年間、競馬が行われていました。
ということで、公園内のゲートには馬の飾りが。
園内に入ると、大輪のジャーマンアイリスなどが競い合って咲いています。
馬の博物館では、馬文化(貴族や武士の社会との結びつき等)や馬関連の工芸品、馬具、馬の骨格模型、競馬に関する紹介など、馬にまつわる常設展示があります。
私が訪れた目的は特別展を見るため。(別の記事でレポートします)
博物館の裏手にまわりましょう。
ポニーセンター
日中は馬場に馬が放牧されているようですが、
私が行ったのは夕方17時近かったので馬たちは厩舎に入っていました。
パンフレットによると、いろんなイベントがあるようです。
・乗馬デー 毎月第3日曜日
馬車の試乗会、ポニー引き馬の試乗会、馬の試乗会
・にんじんタイム 毎週土曜日
・馬と遊ぼうこどもの日 毎年5月5日(こどもの日)
・馬とのつどい 秋季開催
米国サンタフェに行ったとき(なんと、ちょうど3年前の5月のこと)、初めて乗馬体験をしましたが、またいつか馬に乗りたいな。
(備忘メモ)
根岸森林公園からの帰り道は、馬の博物館すぐの「滝の上」バス停から横浜駅行きの市営バスで。
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横浜での新緑めぐり、三渓園に続いては根岸森林公園。
三渓園を出て本牧バス停からJR根岸駅まで約10分。駅前から住宅街の間の細い道、抜け道の急な階段を昇り、およそ15分ほどで根岸森林公園の入り口に到着。
横浜は日本で最初に洋式競馬が始まった場所とのこと。
1867年、もともと居留外国人の娯楽として始まった根岸競馬場は、やがて日本人も加わった社交場として賑わい、1942年まで76年間、競馬が行われていました。
ということで、公園内のゲートには馬の飾りが。
園内に入ると、大輪のジャーマンアイリスなどが競い合って咲いています。
馬の博物館では、馬文化(貴族や武士の社会との結びつき等)や馬関連の工芸品、馬具、馬の骨格模型、競馬に関する紹介など、馬にまつわる常設展示があります。
私が訪れた目的は特別展を見るため。(別の記事でレポートします)
博物館の裏手にまわりましょう。
ポニーセンター
日中は馬場に馬が放牧されているようですが、
私が行ったのは夕方17時近かったので馬たちは厩舎に入っていました。
パンフレットによると、いろんなイベントがあるようです。
・乗馬デー 毎月第3日曜日
馬車の試乗会、ポニー引き馬の試乗会、馬の試乗会
・にんじんタイム 毎週土曜日
・馬と遊ぼうこどもの日 毎年5月5日(こどもの日)
・馬とのつどい 秋季開催
米国サンタフェに行ったとき(なんと、ちょうど3年前の5月のこと)、初めて乗馬体験をしましたが、またいつか馬に乗りたいな。
(備忘メモ)
根岸森林公園からの帰り道は、馬の博物館すぐの「滝の上」バス停から横浜駅行きの市営バスで。
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馬鑑 山口晃展 [アート&デザイン]
横浜の根岸森林公園内にある馬の博物館で「馬鑑(うまかがみ) 山口晃展」を観てきました。
山口晃さんは私が"追っかけ"をしているアーティストの一人(しかも同年代だから生きてる!)
わざわざ遠くまで(駅を降りてからも結構歩く)、初めての場所までやってきました。
本展は、根岸競馬場の解説150周年を記念する展覧会。
見どころ。
●山口晃の新作「厩図(うまやず)」と桃山時代の「厩図」(館蔵品)を並べて展示するなど、山口作品と博物館資料のコラボレーション。
●山口晃の作品(馬とオートバイの合体した表現)にちなみ、大型バイクと日本在来馬、刀剣や甲冑などを展示。
●常設展示の曲がり屋が、山口晃の手によってインスタレーションに!?
本日の衣装。
シマウマのPleats Please、馬のバッグ。
自分のお土産に馬のイラストの付箋メモを購入。
★2016アート鑑賞カウント 39★
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山口晃さんは私が"追っかけ"をしているアーティストの一人(しかも同年代だから生きてる!)
わざわざ遠くまで(駅を降りてからも結構歩く)、初めての場所までやってきました。
本展は、根岸競馬場の解説150周年を記念する展覧会。
見どころ。
●山口晃の新作「厩図(うまやず)」と桃山時代の「厩図」(館蔵品)を並べて展示するなど、山口作品と博物館資料のコラボレーション。
●山口晃の作品(馬とオートバイの合体した表現)にちなみ、大型バイクと日本在来馬、刀剣や甲冑などを展示。
●常設展示の曲がり屋が、山口晃の手によってインスタレーションに!?
本日の衣装。
シマウマのPleats Please、馬のバッグ。
自分のお土産に馬のイラストの付箋メモを購入。
★2016アート鑑賞カウント 39★
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三渓園 新緑の古建築公開 後編 [旅 関東]
前回に続き、新緑の三渓園見学レポートの後編です。
ランチのあとは、外苑をめぐりました。
明治39年(1906)、一般に向けて公開されたエリアです。
明治時代末から大正にかけて、製糸・生糸貿易で財を成した横浜の実業家・原三渓(本名 富太郎)は、何事も"自分だけのものではなく皆さんと共にあるべき"という考えのもと、この日本庭園も開かれたものにしたのです。
開園時には、三渓自筆の「遊覧御随意 三渓園」の表札が掲げられたそうです。
では、まずは高台を目指します。松風閣(展望台)から海の方角を見晴らせます。
下りてくると、ランドマークである重要文化財、三重塔があります。(建築年、室町時代1457年)
京都・木津川市の燈明時(廃寺)から移築。現在、関東地方にある木造の塔では最古
深い緑の園路の傍らには小さな山野草がところどころに咲いています。
タツナミソウ
見覚えのある黄色い小花。(名前が思い出せない、、)
オオアラセイトウ(諸葛孔明の花、諸葛菜とも言う)
初音茶屋の付近には竜が地を這うような枝ぶりが見応えある臥竜梅
寒霞橋を渡ると、園内で唯一、年間を通して歴史的建造物の内部見学ができる合掌造りの旧矢箆原家住宅の大きな茅葺屋根が見えます。(建築年、江戸時代後期1960年)
飛騨・白川郷から移築。屋内の囲炉裏では薪がくべられ、煤で黒光りした屋根裏も見学可能
端午の節句の時期ということで、鯉のぼりが流され、茅葺屋根には軒菖蒲も提げられていました。
さぁ、次の目的地にも行きたいし、そろそろ戻りましょう。
大漁地蔵
あ、でも、三渓園名物を食べておきたい!
待春軒で三渓そば(創設者、原三渓が考案した汁なし麺、800円)をいただきました。(あれ?さっき三景わんを食べたばかりじゃ…)
のびたラーメンみたいな(失礼!)細めのうどん麺の上に、中華風のあん(ひき肉、たけのこ、しいたけ、やや酸味のあるあん)がのり、錦糸卵、ハム、さやえんどうの千切りが彩りで飾られています。それをよく混ぜて食べます。食後には添えられた昆布茶で口の中をすっきり。
おっと、そうこうしているうちに14時半になろうとしています。(結局、4時間半いました。これで入園料500円ですから安いですよね)
青梅がみずみずしい
正門そばには藤棚があり、早くも花は終わりがけ。
八つ橋周辺の花菖蒲はまだ開花を迎える前。
睡蓮や蓮もこれから花を楽しめる時期ですね。
東京湾に面した三之谷と呼ばれる谷あいの地に造り上げた広大な日本庭園。
その中に、京都や日本各地から集められた17棟の歴史的建造物が配置されています。
四季折々の植物も楽しめ、どの季節に来てもいろんな楽しみ方ができる素敵な場所ですね。
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ランチのあとは、外苑をめぐりました。
明治39年(1906)、一般に向けて公開されたエリアです。
明治時代末から大正にかけて、製糸・生糸貿易で財を成した横浜の実業家・原三渓(本名 富太郎)は、何事も"自分だけのものではなく皆さんと共にあるべき"という考えのもと、この日本庭園も開かれたものにしたのです。
開園時には、三渓自筆の「遊覧御随意 三渓園」の表札が掲げられたそうです。
では、まずは高台を目指します。松風閣(展望台)から海の方角を見晴らせます。
下りてくると、ランドマークである重要文化財、三重塔があります。(建築年、室町時代1457年)
京都・木津川市の燈明時(廃寺)から移築。現在、関東地方にある木造の塔では最古
深い緑の園路の傍らには小さな山野草がところどころに咲いています。
タツナミソウ
見覚えのある黄色い小花。(名前が思い出せない、、)
オオアラセイトウ(諸葛孔明の花、諸葛菜とも言う)
初音茶屋の付近には竜が地を這うような枝ぶりが見応えある臥竜梅
寒霞橋を渡ると、園内で唯一、年間を通して歴史的建造物の内部見学ができる合掌造りの旧矢箆原家住宅の大きな茅葺屋根が見えます。(建築年、江戸時代後期1960年)
飛騨・白川郷から移築。屋内の囲炉裏では薪がくべられ、煤で黒光りした屋根裏も見学可能
端午の節句の時期ということで、鯉のぼりが流され、茅葺屋根には軒菖蒲も提げられていました。
さぁ、次の目的地にも行きたいし、そろそろ戻りましょう。
大漁地蔵
あ、でも、三渓園名物を食べておきたい!
待春軒で三渓そば(創設者、原三渓が考案した汁なし麺、800円)をいただきました。(あれ?さっき三景わんを食べたばかりじゃ…)
のびたラーメンみたいな(失礼!)細めのうどん麺の上に、中華風のあん(ひき肉、たけのこ、しいたけ、やや酸味のあるあん)がのり、錦糸卵、ハム、さやえんどうの千切りが彩りで飾られています。それをよく混ぜて食べます。食後には添えられた昆布茶で口の中をすっきり。
おっと、そうこうしているうちに14時半になろうとしています。(結局、4時間半いました。これで入園料500円ですから安いですよね)
青梅がみずみずしい
正門そばには藤棚があり、早くも花は終わりがけ。
八つ橋周辺の花菖蒲はまだ開花を迎える前。
睡蓮や蓮もこれから花を楽しめる時期ですね。
東京湾に面した三之谷と呼ばれる谷あいの地に造り上げた広大な日本庭園。
その中に、京都や日本各地から集められた17棟の歴史的建造物が配置されています。
四季折々の植物も楽しめ、どの季節に来てもいろんな楽しみ方ができる素敵な場所ですね。
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三渓園 新緑の古建築公開 前編 [旅 関東]
GW三連休の第二弾の初日。
朝から張り切って出かけました。題して"大人な遠足"
行き先は、横浜市本牧にある国指定名称「三渓園」
以前から広大な庭を見てみたいと思っていたのですが、場所が遠いなぁとの先入観があって。
正門を入ると、目の前に広がる大池
しかし、意外とスムーズに行けました。
みなとみらい線の終点、元町・中華街駅で降りて(出口4)、山下町バス停から148系統のバスで約15分、桜道バス停で下車して徒歩5分弱で正門に到着。
今回、「新緑の古建築公開 -数寄屋建築 江戸と近代ー」ということで、4/29-5/5の期間限定で建物の中に入れるとのことで訪れたのです。
今回はその見学レポートの前編。
原家が私庭として使用していたエリア、内苑。
江戸時代初期に建てられた、雁行形に三棟が連なる外観の臨春閣を中心に、古建築で構成された繊細なつくりの庭が広がります。
まず、門から右側の園路を進むと、燕子花が咲き、彼方に三重塔が見えます。
手前の蓮池はまだ咲く時期には早く枯れたまま。
向こうに見える大きな茅葺屋根の建物は鶴翔閣。
原三渓(富太郎)が家族との住まいとして自ら建てたもの。(明治35年=1902年、竣工)
残念ながら貸切利用のため中には入れず。
一方の睡蓮池には白い睡蓮が咲いています。
緑の屋根の建物、三渓記念館に最初に入りました。
原三渓は実業家であるだけでなく、若き芸術家たちを経済的に支援し、育成にも尽力しました。日本美術院の画家たち(横山大観、下村観山、前田青邨ら)は「三渓園グループ」と呼ばれ、しばしば三渓園を訪れ、時には鶴翔閣に泊まりこんで創作したそうです。
三渓自身も絵をたしなみ、美術品に深い造詣を持っていたということで、記念館には彼の描いた絵や観山などの作品が展示されています。
三渓の業績やゆかりの資料も紹介されていて、経営においても文化振興においても「私する」ことから離れ、常に公共の利益のためになることを考えていたという。かくあるべし。
館内の茶席・望塔亭では立礼式でお抹茶をいただけます。
久しぶりの茶道の雰囲気、いいわぁ
さぁ、建築見学の始まりです。
白雲邸(建築年、大正9年=1920年)は三渓が隠居所として夫人とともに晩年の20年間を過ごした住宅。
書院(L字型の一枚板の台)と奥書院(螺鈿細工などの凝った意匠)が続いている。
浴室は昔ながらのもの(五右衛門風呂)と近代設備(シャワー)の折衷。
大正の数寄屋建築の次は江戸時代の数寄屋風書院造りの別荘建築、臨春閣。(建築年、1649年)
浪華の間
欄間が興味深い。
菊花の透かし彫りの中に色紙額を配し、大阪周辺の景勝地10場面を、表裏に20人の公家が歌を詠んだ。
亭榭
細密な螺鈿細工。
火灯窓は階段の入り口でもあり、別世界への導入。
天楽の間
赤漆の高欄(手すり)に雅楽の楽器(笙しょう、ひちりき、横笛)を取り合わせた珍しい意匠
臨春閣は重要文化財に指定されています。
新緑が目にまぶしい。
月華殿(建築年、江戸時代1603年)
京都・伏見城にあった、大名来城の際の控え所として使われたと言われる建物
天授院(建築年、江戸時代1651年)
鎌倉・建長寺近くの心平寺跡にあった禅宗様の地蔵堂の建物
楓
聴秋閣(建築年、江戸時代1623年)
京都・二条城内にあったと言われる、徳川家光・春日局ゆかりの楼閣建築
建築公開の期間中、聴秋閣奥にある遊歩道も開放されています。
ニシキギ
竹の新旧交代。
10時に入園して、ここまでで二時間半。ウグイスの鳴き声を聞きながら、ゆったり散策。
お腹も空いてきました。 三渓園茶寮で三景わんのランチ。
後編に続く。
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朝から張り切って出かけました。題して"大人な遠足"
行き先は、横浜市本牧にある国指定名称「三渓園」
以前から広大な庭を見てみたいと思っていたのですが、場所が遠いなぁとの先入観があって。
正門を入ると、目の前に広がる大池
しかし、意外とスムーズに行けました。
みなとみらい線の終点、元町・中華街駅で降りて(出口4)、山下町バス停から148系統のバスで約15分、桜道バス停で下車して徒歩5分弱で正門に到着。
今回、「新緑の古建築公開 -数寄屋建築 江戸と近代ー」ということで、4/29-5/5の期間限定で建物の中に入れるとのことで訪れたのです。
今回はその見学レポートの前編。
原家が私庭として使用していたエリア、内苑。
江戸時代初期に建てられた、雁行形に三棟が連なる外観の臨春閣を中心に、古建築で構成された繊細なつくりの庭が広がります。
まず、門から右側の園路を進むと、燕子花が咲き、彼方に三重塔が見えます。
手前の蓮池はまだ咲く時期には早く枯れたまま。
向こうに見える大きな茅葺屋根の建物は鶴翔閣。
原三渓(富太郎)が家族との住まいとして自ら建てたもの。(明治35年=1902年、竣工)
残念ながら貸切利用のため中には入れず。
一方の睡蓮池には白い睡蓮が咲いています。
緑の屋根の建物、三渓記念館に最初に入りました。
原三渓は実業家であるだけでなく、若き芸術家たちを経済的に支援し、育成にも尽力しました。日本美術院の画家たち(横山大観、下村観山、前田青邨ら)は「三渓園グループ」と呼ばれ、しばしば三渓園を訪れ、時には鶴翔閣に泊まりこんで創作したそうです。
三渓自身も絵をたしなみ、美術品に深い造詣を持っていたということで、記念館には彼の描いた絵や観山などの作品が展示されています。
三渓の業績やゆかりの資料も紹介されていて、経営においても文化振興においても「私する」ことから離れ、常に公共の利益のためになることを考えていたという。かくあるべし。
館内の茶席・望塔亭では立礼式でお抹茶をいただけます。
久しぶりの茶道の雰囲気、いいわぁ
さぁ、建築見学の始まりです。
白雲邸(建築年、大正9年=1920年)は三渓が隠居所として夫人とともに晩年の20年間を過ごした住宅。
書院(L字型の一枚板の台)と奥書院(螺鈿細工などの凝った意匠)が続いている。
浴室は昔ながらのもの(五右衛門風呂)と近代設備(シャワー)の折衷。
大正の数寄屋建築の次は江戸時代の数寄屋風書院造りの別荘建築、臨春閣。(建築年、1649年)
浪華の間
欄間が興味深い。
菊花の透かし彫りの中に色紙額を配し、大阪周辺の景勝地10場面を、表裏に20人の公家が歌を詠んだ。
亭榭
細密な螺鈿細工。
火灯窓は階段の入り口でもあり、別世界への導入。
天楽の間
赤漆の高欄(手すり)に雅楽の楽器(笙しょう、ひちりき、横笛)を取り合わせた珍しい意匠
臨春閣は重要文化財に指定されています。
新緑が目にまぶしい。
月華殿(建築年、江戸時代1603年)
京都・伏見城にあった、大名来城の際の控え所として使われたと言われる建物
天授院(建築年、江戸時代1651年)
鎌倉・建長寺近くの心平寺跡にあった禅宗様の地蔵堂の建物
楓
聴秋閣(建築年、江戸時代1623年)
京都・二条城内にあったと言われる、徳川家光・春日局ゆかりの楼閣建築
建築公開の期間中、聴秋閣奥にある遊歩道も開放されています。
ニシキギ
竹の新旧交代。
10時に入園して、ここまでで二時間半。ウグイスの鳴き声を聞きながら、ゆったり散策。
お腹も空いてきました。 三渓園茶寮で三景わんのランチ。
後編に続く。
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