三渓園 新緑の古建築公開 前編 [旅 関東]
GW三連休の第二弾の初日。
朝から張り切って出かけました。題して"大人な遠足"
行き先は、横浜市本牧にある国指定名称「三渓園」
以前から広大な庭を見てみたいと思っていたのですが、場所が遠いなぁとの先入観があって。
正門を入ると、目の前に広がる大池
しかし、意外とスムーズに行けました。
みなとみらい線の終点、元町・中華街駅で降りて(出口4)、山下町バス停から148系統のバスで約15分、桜道バス停で下車して徒歩5分弱で正門に到着。
今回、「新緑の古建築公開 -数寄屋建築 江戸と近代ー」ということで、4/29-5/5の期間限定で建物の中に入れるとのことで訪れたのです。
今回はその見学レポートの前編。
原家が私庭として使用していたエリア、内苑。
江戸時代初期に建てられた、雁行形に三棟が連なる外観の臨春閣を中心に、古建築で構成された繊細なつくりの庭が広がります。
まず、門から右側の園路を進むと、燕子花が咲き、彼方に三重塔が見えます。
手前の蓮池はまだ咲く時期には早く枯れたまま。
向こうに見える大きな茅葺屋根の建物は鶴翔閣。
原三渓(富太郎)が家族との住まいとして自ら建てたもの。(明治35年=1902年、竣工)
残念ながら貸切利用のため中には入れず。
一方の睡蓮池には白い睡蓮が咲いています。
緑の屋根の建物、三渓記念館に最初に入りました。
原三渓は実業家であるだけでなく、若き芸術家たちを経済的に支援し、育成にも尽力しました。日本美術院の画家たち(横山大観、下村観山、前田青邨ら)は「三渓園グループ」と呼ばれ、しばしば三渓園を訪れ、時には鶴翔閣に泊まりこんで創作したそうです。
三渓自身も絵をたしなみ、美術品に深い造詣を持っていたということで、記念館には彼の描いた絵や観山などの作品が展示されています。
三渓の業績やゆかりの資料も紹介されていて、経営においても文化振興においても「私する」ことから離れ、常に公共の利益のためになることを考えていたという。かくあるべし。
館内の茶席・望塔亭では立礼式でお抹茶をいただけます。
久しぶりの茶道の雰囲気、いいわぁ
さぁ、建築見学の始まりです。
白雲邸(建築年、大正9年=1920年)は三渓が隠居所として夫人とともに晩年の20年間を過ごした住宅。
書院(L字型の一枚板の台)と奥書院(螺鈿細工などの凝った意匠)が続いている。
浴室は昔ながらのもの(五右衛門風呂)と近代設備(シャワー)の折衷。
大正の数寄屋建築の次は江戸時代の数寄屋風書院造りの別荘建築、臨春閣。(建築年、1649年)
浪華の間
欄間が興味深い。
菊花の透かし彫りの中に色紙額を配し、大阪周辺の景勝地10場面を、表裏に20人の公家が歌を詠んだ。
亭榭
細密な螺鈿細工。
火灯窓は階段の入り口でもあり、別世界への導入。
天楽の間
赤漆の高欄(手すり)に雅楽の楽器(笙しょう、ひちりき、横笛)を取り合わせた珍しい意匠
臨春閣は重要文化財に指定されています。
新緑が目にまぶしい。
月華殿(建築年、江戸時代1603年)
京都・伏見城にあった、大名来城の際の控え所として使われたと言われる建物
天授院(建築年、江戸時代1651年)
鎌倉・建長寺近くの心平寺跡にあった禅宗様の地蔵堂の建物
楓
聴秋閣(建築年、江戸時代1623年)
京都・二条城内にあったと言われる、徳川家光・春日局ゆかりの楼閣建築
建築公開の期間中、聴秋閣奥にある遊歩道も開放されています。
ニシキギ
竹の新旧交代。
10時に入園して、ここまでで二時間半。ウグイスの鳴き声を聞きながら、ゆったり散策。
お腹も空いてきました。 三渓園茶寮で三景わんのランチ。
後編に続く。
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朝から張り切って出かけました。題して"大人な遠足"
行き先は、横浜市本牧にある国指定名称「三渓園」
以前から広大な庭を見てみたいと思っていたのですが、場所が遠いなぁとの先入観があって。
正門を入ると、目の前に広がる大池
しかし、意外とスムーズに行けました。
みなとみらい線の終点、元町・中華街駅で降りて(出口4)、山下町バス停から148系統のバスで約15分、桜道バス停で下車して徒歩5分弱で正門に到着。
今回、「新緑の古建築公開 -数寄屋建築 江戸と近代ー」ということで、4/29-5/5の期間限定で建物の中に入れるとのことで訪れたのです。
今回はその見学レポートの前編。
原家が私庭として使用していたエリア、内苑。
江戸時代初期に建てられた、雁行形に三棟が連なる外観の臨春閣を中心に、古建築で構成された繊細なつくりの庭が広がります。
まず、門から右側の園路を進むと、燕子花が咲き、彼方に三重塔が見えます。
手前の蓮池はまだ咲く時期には早く枯れたまま。
向こうに見える大きな茅葺屋根の建物は鶴翔閣。
原三渓(富太郎)が家族との住まいとして自ら建てたもの。(明治35年=1902年、竣工)
残念ながら貸切利用のため中には入れず。
一方の睡蓮池には白い睡蓮が咲いています。
緑の屋根の建物、三渓記念館に最初に入りました。
原三渓は実業家であるだけでなく、若き芸術家たちを経済的に支援し、育成にも尽力しました。日本美術院の画家たち(横山大観、下村観山、前田青邨ら)は「三渓園グループ」と呼ばれ、しばしば三渓園を訪れ、時には鶴翔閣に泊まりこんで創作したそうです。
三渓自身も絵をたしなみ、美術品に深い造詣を持っていたということで、記念館には彼の描いた絵や観山などの作品が展示されています。
三渓の業績やゆかりの資料も紹介されていて、経営においても文化振興においても「私する」ことから離れ、常に公共の利益のためになることを考えていたという。かくあるべし。
館内の茶席・望塔亭では立礼式でお抹茶をいただけます。
久しぶりの茶道の雰囲気、いいわぁ
さぁ、建築見学の始まりです。
白雲邸(建築年、大正9年=1920年)は三渓が隠居所として夫人とともに晩年の20年間を過ごした住宅。
書院(L字型の一枚板の台)と奥書院(螺鈿細工などの凝った意匠)が続いている。
浴室は昔ながらのもの(五右衛門風呂)と近代設備(シャワー)の折衷。
大正の数寄屋建築の次は江戸時代の数寄屋風書院造りの別荘建築、臨春閣。(建築年、1649年)
浪華の間
欄間が興味深い。
菊花の透かし彫りの中に色紙額を配し、大阪周辺の景勝地10場面を、表裏に20人の公家が歌を詠んだ。
亭榭
細密な螺鈿細工。
火灯窓は階段の入り口でもあり、別世界への導入。
天楽の間
赤漆の高欄(手すり)に雅楽の楽器(笙しょう、ひちりき、横笛)を取り合わせた珍しい意匠
臨春閣は重要文化財に指定されています。
新緑が目にまぶしい。
月華殿(建築年、江戸時代1603年)
京都・伏見城にあった、大名来城の際の控え所として使われたと言われる建物
天授院(建築年、江戸時代1651年)
鎌倉・建長寺近くの心平寺跡にあった禅宗様の地蔵堂の建物
楓
聴秋閣(建築年、江戸時代1623年)
京都・二条城内にあったと言われる、徳川家光・春日局ゆかりの楼閣建築
建築公開の期間中、聴秋閣奥にある遊歩道も開放されています。
ニシキギ
竹の新旧交代。
10時に入園して、ここまでで二時間半。ウグイスの鳴き声を聞きながら、ゆったり散策。
お腹も空いてきました。 三渓園茶寮で三景わんのランチ。
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