ノート、夢のしるし 石田徹也展 [アート&デザイン]
5月の連休中日、平塚市にまで出かけたのは、以前から気になっているアーティストの展覧会が開催されていたから。
平塚市美術館にて「ノート、夢のしるし 石田徹也展」
「飛べなくなった人」(1996年、静岡県立美術館蔵) その下絵とアイデアスケッチ
石田徹也。1973年、静岡県焼津市生まれ。
現代社会を鋭く風刺する画風で知られる画家。
さまざまな器物や風景と合体した自画像や無表情なサラリーマンをモチーフにした絵が特徴。
会場構成は次のとおり。
1.起点「創作方法を探したい」
作者が小学校5年生(11歳)の時に「人権マンガ・ポスター」公募展で最優秀賞をとった作品「弱い者いじめは、やめよう!」に始まる。
彼は幼少より社会問題に関心を寄せていたことがうかがえる。
だんごむし、みのむし、機関車。ネクタイ姿のサラリーマンが描かれる。
2.漂う人「現実の何かに光をあてる」
1996年ー1998年の作品。武蔵野美大造形学部視覚伝達デザイン学科在学中に第6回グラフィックアート「3.3㎡ひとつぼ展」に応募、グランプリを獲得。個展開催の機会を得た彼は、就職を断念しアルバイトをしながら創作活動に励んだ。
彼の言葉「興味があるのは気持ちの動き、行動の動機なので、顔や身体の表情、光、色などをアイデア以上に重要視している」
展示作品「トイレへ逃げ込む人」(便所マン)、「使われなくなったビルの部長のイス」(イスマン)、「使われなくなった社員のイス」「屋上へ逃げる人」(カイダン男、イスマンの同類)、「燃料補給のような食事」(下↓の絵)
吉野屋で牛丼を食べているサラリーマン(空腹を満たすだけの食事?)
3.変化「他人の自画像」
1998年ー2001年の作品。漢字二文字で表すシンプルな題名になる。
「説教」(体が男性の小便器になっている、そこに向かう男性の後ろ姿)「囚人」「彼方」(廃車から腕を出す老男)など。
VOCA展入賞時のインタビューで将来はどんな作品を描きたいですか?と質問され、「自分のためだけに良い絵を描いていきたい。自分の感じた世界を描き、見る人には自由に感じてほしい。笑ってもらったり、怖がってもらえればいい」
4.ユーモア「ナンセンスへと近づくことだ」
生きる不安をギャグや皮肉を用いて表現。
スポーツ雑誌『Number』の挿絵や高崎だるまの張子に描いた立体作品など。
5.再生「とくにく かく」
展示機会の有無に関わらず、ただひたすら描き続けていた。
絵画作品のほか、51冊ものノートやスケッチブックに描かれた下絵やアイデア、言葉が初公開されており、石田徹也の制作の過程や思考の跡が垣間見られる。
2005年5月23日、踏切事故により死亡したのは彼がまだ31歳のとき。
死後、六畳一間の自宅アパートから150点近い作品が発見された。
彼が生きていたら今ごろはどんな絵を描いているのだろう。
平塚市美術館の屋外彫刻
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平塚市美術館にて「ノート、夢のしるし 石田徹也展」
「飛べなくなった人」(1996年、静岡県立美術館蔵) その下絵とアイデアスケッチ
石田徹也。1973年、静岡県焼津市生まれ。
現代社会を鋭く風刺する画風で知られる画家。
さまざまな器物や風景と合体した自画像や無表情なサラリーマンをモチーフにした絵が特徴。
会場構成は次のとおり。
1.起点「創作方法を探したい」
作者が小学校5年生(11歳)の時に「人権マンガ・ポスター」公募展で最優秀賞をとった作品「弱い者いじめは、やめよう!」に始まる。
彼は幼少より社会問題に関心を寄せていたことがうかがえる。
だんごむし、みのむし、機関車。ネクタイ姿のサラリーマンが描かれる。
2.漂う人「現実の何かに光をあてる」
1996年ー1998年の作品。武蔵野美大造形学部視覚伝達デザイン学科在学中に第6回グラフィックアート「3.3㎡ひとつぼ展」に応募、グランプリを獲得。個展開催の機会を得た彼は、就職を断念しアルバイトをしながら創作活動に励んだ。
彼の言葉「興味があるのは気持ちの動き、行動の動機なので、顔や身体の表情、光、色などをアイデア以上に重要視している」
展示作品「トイレへ逃げ込む人」(便所マン)、「使われなくなったビルの部長のイス」(イスマン)、「使われなくなった社員のイス」「屋上へ逃げる人」(カイダン男、イスマンの同類)、「燃料補給のような食事」(下↓の絵)
吉野屋で牛丼を食べているサラリーマン(空腹を満たすだけの食事?)
3.変化「他人の自画像」
1998年ー2001年の作品。漢字二文字で表すシンプルな題名になる。
「説教」(体が男性の小便器になっている、そこに向かう男性の後ろ姿)「囚人」「彼方」(廃車から腕を出す老男)など。
VOCA展入賞時のインタビューで将来はどんな作品を描きたいですか?と質問され、「自分のためだけに良い絵を描いていきたい。自分の感じた世界を描き、見る人には自由に感じてほしい。笑ってもらったり、怖がってもらえればいい」
4.ユーモア「ナンセンスへと近づくことだ」
生きる不安をギャグや皮肉を用いて表現。
スポーツ雑誌『Number』の挿絵や高崎だるまの張子に描いた立体作品など。
5.再生「とくにく かく」
展示機会の有無に関わらず、ただひたすら描き続けていた。
絵画作品のほか、51冊ものノートやスケッチブックに描かれた下絵やアイデア、言葉が初公開されており、石田徹也の制作の過程や思考の跡が垣間見られる。
2005年5月23日、踏切事故により死亡したのは彼がまだ31歳のとき。
死後、六畳一間の自宅アパートから150点近い作品が発見された。
彼が生きていたら今ごろはどんな絵を描いているのだろう。
平塚市美術館の屋外彫刻
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