2017年8月 緊急帰省 [日記]
(この記事は10月終わりに、遡って書いています)
前回、7月中旬に帰省した際、入院して3か月近く経過していた父はかなり衰弱していた。体力の衰えとともに気力も減退。
大好きな大相撲のテレビ中継も、ほとんど寝たきりの状態で見たり見なかったり。「遠藤が出ていない(休場)から、見ていても面白くない」とのこと。
7月初めには、外出許可をもらって兄の自宅に行き、同じく老人ホームから外出してきた母とともに、兄夫婦と父の90才の誕生日お祝いのランチ(にぎり寿司)を美味しそうに食べていた話を聞いていた。その時は、母のほうが神経痛がひどくて歩行もままならない状態だったのに、二週間で形勢逆転。
中旬には母は痛みも弱まり車椅子なしで歩けるように戻ったのに、父は下痢と微熱が続きトイレ以外はベッドに横たわっている状態。
実は、父の希望としては、私の帰省に合わせて実家に帰り、自分の水墨画作品を整理したい、かつて食事をした料理屋で美味しいものを食べたい(しかも魚料理とフレンチビストロをはしごして!)、ということだったが、そんな体調では叶わぬ希望。
入院3か月近くが経ち、ほんの少し体調が良くなった時、そろそろ転院かという話も出てきたものの、数日後には食欲不振での栄養不足を点滴で補うことになり、転院の話は立ち消え。
最終週末にいつものように父の携帯電話に電話したけど応答なし。
その週末に病室も個室に移り、完全に寝たきり、酸素を取り込むための吸入マスクを付けるようになった、と兄から聞いたのは翌日の月曜。
7月23日に話をしたのが父との最後の電話での会話となりました。
その週末も最終週末も日中とにかく眠くて昼寝していたのは父と私がシンクロしていたせいなのかも。
そして、7月31日の昼。兄からの電話。
父の容態について医師から呼び出され話を聞くことになったと。
それから午後は、仕事をしていても心ここにあらずの状態で、仕事に集中できなくなりました。
夜、あらためて兄と電話で話したところ、父がまだ意識があるうちに会わせようと母を老人ホームから連れ出し病室で少し会話をしたとのこと。これが二人にとって最後の顔合わせ。
8月1日。兄との電話。
父はスイカやトースト、アクエリアスを数くち口にして、話もできたとのこと。
(かつての主治医から果物を食べるのを止められていたが、最近は気にせず食べたいものを食べようと開き直っていました)
意識があるうちに私も父の顔を見たいと思い、2日の夜行バスで帰省する予定を立てた。
ところが、2日の昼。
病室を見舞ったときに父が弱気発言をしたことを受けて動揺した様子で兄が電話をかけてきた。
私は居ても立っても居られず、夜行バスの予約を取り消し、一刻も早く父のもとに行けるよう、いつもの新幹線ではなく飛行機で金沢に向かうことにした。
17時前に小松空港に到着。
自衛隊機もどこからか到着
ひゃくまんさんに出迎えられ
到着ロビーでヤツとも遭遇。
18時すぎに金沢駅で義姉と合流し、その足で父の病院へ。
平日に帰った私に怪訝そうな顔をするので、「夏休みで帰って来た」と告げ、「明日また来るね」と兄の家へ。
3日の朝。ちょうど昨日、梅雨明けした金沢。爽やかな青空が広がっている朝です。
蝉の脱け殻二つ見~つけた
朝食後、父の病院へ向かうとき、用水にカルガモの親子がスイスイと行進中。
病室では父にリンゴジュース(昨日、羽田空港に入っている千疋屋で買ってきた)を口に含ませてあげたら、わずかだけど美味しそうに飲んだ。
少し落ち着いている様子だったので、「用事があるから羽咋(実家)に行ってくるね」と伝え、兄の車で一緒に行くことにした。
あかつき屋の軒先には風鈴が揺れている
実家ではほんの一時間ほどで用事をすませ、とんぼ返りで金沢に戻った。
途中(宝達志水町の果物など直売所)で見つけた稲バウワー。シュールすぎる…
母のところにも小一時間立ち寄り、再び父の病室へ。
一時間ほどベッド脇に座っていた。
今回はいったん東京(仕事)に戻ろう。
金沢滞在24時間。
だけど、戻るまえに気分転換したい。
JR金沢駅構内の鮨 歴々で軽くつまんで。
(バイ貝、甘えび)8貫+巻き。日本酒は九頭竜
カウンター隣のお客さんが注文していた白海老も追加。金沢では珍しいコハダ。
食後のデザートは新幹線の車内販売でフィナンシェ。
【おまけ】
東京駅に着いて山手線に乗り換え。
動体視力検査。車両に描かれているものは?
答えは、ガリガリ君!
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前回、7月中旬に帰省した際、入院して3か月近く経過していた父はかなり衰弱していた。体力の衰えとともに気力も減退。
大好きな大相撲のテレビ中継も、ほとんど寝たきりの状態で見たり見なかったり。「遠藤が出ていない(休場)から、見ていても面白くない」とのこと。
7月初めには、外出許可をもらって兄の自宅に行き、同じく老人ホームから外出してきた母とともに、兄夫婦と父の90才の誕生日お祝いのランチ(にぎり寿司)を美味しそうに食べていた話を聞いていた。その時は、母のほうが神経痛がひどくて歩行もままならない状態だったのに、二週間で形勢逆転。
中旬には母は痛みも弱まり車椅子なしで歩けるように戻ったのに、父は下痢と微熱が続きトイレ以外はベッドに横たわっている状態。
実は、父の希望としては、私の帰省に合わせて実家に帰り、自分の水墨画作品を整理したい、かつて食事をした料理屋で美味しいものを食べたい(しかも魚料理とフレンチビストロをはしごして!)、ということだったが、そんな体調では叶わぬ希望。
入院3か月近くが経ち、ほんの少し体調が良くなった時、そろそろ転院かという話も出てきたものの、数日後には食欲不振での栄養不足を点滴で補うことになり、転院の話は立ち消え。
最終週末にいつものように父の携帯電話に電話したけど応答なし。
その週末に病室も個室に移り、完全に寝たきり、酸素を取り込むための吸入マスクを付けるようになった、と兄から聞いたのは翌日の月曜。
7月23日に話をしたのが父との最後の電話での会話となりました。
その週末も最終週末も日中とにかく眠くて昼寝していたのは父と私がシンクロしていたせいなのかも。
そして、7月31日の昼。兄からの電話。
父の容態について医師から呼び出され話を聞くことになったと。
それから午後は、仕事をしていても心ここにあらずの状態で、仕事に集中できなくなりました。
夜、あらためて兄と電話で話したところ、父がまだ意識があるうちに会わせようと母を老人ホームから連れ出し病室で少し会話をしたとのこと。これが二人にとって最後の顔合わせ。
8月1日。兄との電話。
父はスイカやトースト、アクエリアスを数くち口にして、話もできたとのこと。
(かつての主治医から果物を食べるのを止められていたが、最近は気にせず食べたいものを食べようと開き直っていました)
意識があるうちに私も父の顔を見たいと思い、2日の夜行バスで帰省する予定を立てた。
ところが、2日の昼。
病室を見舞ったときに父が弱気発言をしたことを受けて動揺した様子で兄が電話をかけてきた。
私は居ても立っても居られず、夜行バスの予約を取り消し、一刻も早く父のもとに行けるよう、いつもの新幹線ではなく飛行機で金沢に向かうことにした。
17時前に小松空港に到着。
自衛隊機もどこからか到着
ひゃくまんさんに出迎えられ
到着ロビーでヤツとも遭遇。
18時すぎに金沢駅で義姉と合流し、その足で父の病院へ。
平日に帰った私に怪訝そうな顔をするので、「夏休みで帰って来た」と告げ、「明日また来るね」と兄の家へ。
3日の朝。ちょうど昨日、梅雨明けした金沢。爽やかな青空が広がっている朝です。
蝉の脱け殻二つ見~つけた
朝食後、父の病院へ向かうとき、用水にカルガモの親子がスイスイと行進中。
病室では父にリンゴジュース(昨日、羽田空港に入っている千疋屋で買ってきた)を口に含ませてあげたら、わずかだけど美味しそうに飲んだ。
少し落ち着いている様子だったので、「用事があるから羽咋(実家)に行ってくるね」と伝え、兄の車で一緒に行くことにした。
あかつき屋の軒先には風鈴が揺れている
実家ではほんの一時間ほどで用事をすませ、とんぼ返りで金沢に戻った。
途中(宝達志水町の果物など直売所)で見つけた稲バウワー。シュールすぎる…
母のところにも小一時間立ち寄り、再び父の病室へ。
一時間ほどベッド脇に座っていた。
今回はいったん東京(仕事)に戻ろう。
金沢滞在24時間。
だけど、戻るまえに気分転換したい。
JR金沢駅構内の鮨 歴々で軽くつまんで。
(バイ貝、甘えび)8貫+巻き。日本酒は九頭竜
カウンター隣のお客さんが注文していた白海老も追加。金沢では珍しいコハダ。
食後のデザートは新幹線の車内販売でフィナンシェ。
【おまけ】
東京駅に着いて山手線に乗り換え。
動体視力検査。車両に描かれているものは?
答えは、ガリガリ君!
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