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天才陶工 仁阿弥道八展 [アート&デザイン]

東京ミッドタウン内、サントリー美術館で開催中の「天才陶工 仁阿弥道八展」を観てきました。

20150124 仁阿弥道八展.JPG

仁阿弥道八(にんなみどうはち、1783-1855)は、京都の陶工・高橋道八家の二代目にあたり、奥田頴川、青木木米、永楽保全らと同時期に清水五条坂を拠点に活躍した京焼の名工のひとり。
茶道具から煎茶器、食器、置物をはじめとする彫塑的な作品まで作品を数多く残している。また、自らの窯のほか地方へ招かれて各地の御庭焼にも参画した。

会場構成と私が気に入った(気になった)作品は次のとおり。

一、仁阿弥の父、初代高橋道八
楽焼茶碗のような「月文黒茶碗」(江戸時代18~19世紀、個人蔵)
仁阿弥道八は父の初代高橋道八から陶法を指導され、最も大きく影響を受けたと考えられている。

二、仁阿弥の茶道具と「写し」の技量
京焼の名工・野々村仁清の「金筋隠印茶碗」(江戸時代17世紀、野村美術館蔵)の写しである「色絵筋文入子茶碗 一双」(江戸時代19世紀、逸翁美術館蔵)、朝鮮の「青磁象嵌霊芝宝珠文碗」(朝鮮時代17世紀、京都国立博物館蔵)と一連の青磁象嵌の写し。
その他、伊羅保茶碗、黒楽茶碗、景徳鎮の祥瑞碗、斗々屋茶碗、三島茶碗など様々な焼物の特徴を自分の作品にしてしまう技量の高さ。
面白い作品では、「色絵花卉図手焙」「色絵群蝶図手焙」の方形の焼きの一側面ずつの絵付けを谷文晁一門の四人が分担したもの。
また、工夫が見えたのは香合。「色絵七福神香合」の七福神はいずれも斜め上を向いている。茶会では香合を上から見下ろすので、顔が見やすいようにという配慮のようです。

三、仁阿弥の煎茶道具
18世紀後半から19世紀にかけて、文人たちの間で煎茶道が流行したとのことで、煎茶道具の需要も高まった。
急須、煎茶用碗、湯沸、凉炉。

四、仁阿弥の鉢 懐石の華
このコーナーも見ごたえあり。
雲錦手と呼ばれる桜と楓を半面ずつ大胆に配した「色絵桜楓文鉢」のシリーズ。(↑写真の右中)
竹の葉に雪が降り積もったかのような「銹絵雪竹文手鉢」のシリーズ。持ち手も細竹のよう。(↑写真の左中)
尾形乾山写しの「色絵大根文鉢」や「色絵紫陽花文手鉢」「刷毛目鉢」「銹絵桐葉形皿」(↑写真の左上)など充実した作品ばかり。
写しの作品のほか、同時期の絵師(松村景文)との合作もあり。

五、彫塑的作品 置物・手焙・炉蓋
展覧会作品で一番興味深かったのはユーモアあふれたオブジェのような作品。
「色絵寿星立像」(↑写真の中央)は長寿を象徴する七福神の寿老人が左手にこれもまた長寿を意味する桃を持っている。
「色絵狸炉蓋」(↑写真の右上)は茶室の炉を使用しないときに被せる蓋。埃防止でもあり、通気のために狸の口が開いている。
「色絵猿置物」(↑写真の右下)は底面を引っくり返して見ると、猿の足の裏、お尻、オ○ン○ンがしっかり。
「黒楽銀彩猫手焙」(↑写真の左下)は目を閉じた黒猫の表情といい、背中を丸めた座り姿勢といいリアル。

六、御庭焼の指導者として 
御庭焼とは、江戸時代に陶磁器に趣味をもつ藩主・城主・老臣などが、城内や邸内に窯を築いて焼かせた陶磁類のこと。伊賀焼(伊賀上野)、紀州偕楽園焼、御深井焼、水戸後楽園焼、備前後楽園焼などがある。
仁阿弥は、紀州偕楽園御庭焼や一方堂焼(京都嵯峨の角倉家)、御用窯の讃窯(讃岐松平家)にも参画している。

七、新しい時代へ
仁阿弥は五条坂の窯を息子の三代道八に譲り、伏見桃山に隠居して桃山窯を創始し、その後生涯を終えた。
三代道八と当代(九代)の作品を展示。

展覧会のコピーにもなっているように「天才陶工」が多岐にわたり「のびのびと、まじめに」作った作品を堪能しました。
感想。私好みの作風でした。


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タグ:陶磁器
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