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サンフランシスコ同窓会 in 神戸 [日記]

1987年6月。
サンフランシスコで日本人の若者が出逢った。
それぞれの目的を持って母国を離れ異国の地アメリカに着き、ある日、ひょんなことでサンフランシスコの安宿で顔を合わせたことからその後の"線"につながる起点が打たれたのだ。

東海岸側(フィラデルフィア)で一年間の留学期間を終え、帰国前に1か月以上かけてグレイハウンドバスで大陸横断し、西海岸側の最後の訪問地サンフランシスコのバスディーポでバックパッカーのバイブル『地球の歩き方』を広げ、「日本人の長期滞在者もいる宿」として紹介されていたウェスタンホテルを見つけた。
その時、私の少し離れたところに座り同じように宿を探している様子の日本人男子(ハルオくん)がいた。「ホテルを探しているんだったら、一緒に行く?」と声をかけ、そのホテルで空きを尋ねると一室のみ。しかし、ベッドルームは鍵のかかる部屋で仕切られていたので、二人でシェアすることに。(まぁ、大胆なこと!でも何もありませんでしたから。キッパリ!)

宿泊客が自由に利用できる食堂みたいな部屋があって、そこに行くと案の定、日本人が数人。
そのうちの男性二人(rockyさん、Aさん)は福岡出身。友人・知人からカンパを集め、レンタカーでアメリカ横断の旅に来ているとのこと。

そして、長期滞在者のうちの何人かも加わり、当月が誕生日だという人たちのお祝い会をしたり、誰だったかの部屋で深夜まで語り合いという、短時間で不思議な結束を感じたのです(女子は私のみ)。そのうちの一人がテキヤというニックネームで呼ばれていて、今は地元の兵庫県豊岡市に暮らしている。

インターネットも電子メールも携帯電話もなかった時代。
福岡の二人とは連絡先を交換し、これまでずっと年賀状を送り、数年に一度、機会があるときに金沢・福岡・東京で再会を果たしていた。(rockyさんとはNYでも)

時を経て三年前、2011年6月。
rockyさんがFacebookで友だち検索し、テキヤを見つけた!
そしてテキヤから「こんにちは!僕の事、覚えてます?」というメッセージが届いた。
こうやって27年の空白期間を一気に飛び越え、バーチャルだけど、"線"がつながった!

それからはお互いのFacebookの書き込みで近況を確認しつつ、リアルな再会の機会をうかがっていたのですが、ようやく先週(9月5日)、運命的でもありドラマのようでもある再会を神戸で果たしたのです。

福岡組は新幹線で、テキヤは日本海側の豊岡から電車で南下、私は東京から飛行機で。
仕事を早々に切り上げ、羽田空港に向かう途中、久しぶりの胸の高鳴り。思わず顔がニヤケル。
神戸空港に降り立ち、ポートライナーに乗っている間もワクワクが増すばかり。
街に近づくにつれ、港町の風景、六甲の山々を見ていると、サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジと周辺の風景とオーバーラップする。
再会の場所として神戸は最適の選択だったと思えた。

ついに、27年ぶりの「サンフランシスコ同窓会」

三宮駅近くの和創作居酒屋に集合。
始めはどこかぎこちなさもありながら久しぶりの再会の雰囲気を味わっていた。
この文章を書きながらも昔の記憶は曖昧なことが多く、忘れていたことや思い出が美化されていることもあるけど、へぇーそんなこともあったっけ?というような話に盛り上がり、懐かしい気持ちに満ちていた。

男性三人はそれぞれ実家の家業を継ぐ社長さん。
しかし、単純に家業を続けているというのではなく自らの意思で新しいことにチャレンジしている。しかも地域に関わり、日本を飛び出した活動を行っている。
一方の私。会社員として働きながら、自分の楽しみのためだけに生きているのではないかと反省。テキヤの「それって自分だけのことだよね」という指摘にドキッ。

最初の緊張感も解け、二次会の店はテキヤの地元の先輩の店。ここで日本酒の一気飲みが始まり、男性陣が壊れた、、
三次会は立ち飲み屋。男性陣はかなり限界。
深夜1時すぎ、千鳥足の彼らとともにそれぞれの宿泊ホテルを目指した。
こうして「第1回サンフランシスコ同窓会」は解散。

今回の再会も、サンフランシスコでの偶然の出逢いから現在にいたるまでの私たちの過ごした日々も、結構ドラマティック。
どこかの放送局でドラマ化してくれないかしら(笑)

男性陣が壊れ始めたころ(小さく) 20140905 サンフランシスコ同窓会5 -.jpeg


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