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 [学び&本]

いったい何か月かかって読み終えただろう。
石川県出身の哲学者、鈴木大拙の『禅』

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朝の通勤電車で読むことにしていた文庫本。
禅の思想も難解ならば、文章も難解。
片道の乗車時間7分。どういうことだろう?と考え咀嚼しながら読んでいると二見開きを読むのがやっと。しかも、毎日座れるわけでもないので、毎朝読むわけでもなく。
前回読んだところに立ち返り、続きを読み、の繰り返しでようやく読了。

結局、禅については相変わらず不明なまま。
しかし、最終章(第七章 愛と力)に書かれている文章に初めて、そしてようやくすんなりと理解できた。

~引用1~
力の誇示のもっとも顕著な一例が、西欧の人々の自然に対する態度にみられる。かれらは自然を征服するといって、けっして自然を友とするとはいわない。かれらは高い山に登っては、山を征服したと公言する。天のかたに向かってある種の発射物を打ち上げることに成功すると、今度は、空を征服したと主張する。なぜかれらは、いまやわれわれは自然とよりいっそう親しくなった、とは言わないのか。不幸なことに、敵対観念が世界のすみずみにまで侵透して、人々は「支配」、「征服」、「管制」等々を口にする。

~引用2~
存在するものすべての相依相関の真理に目覚め、たがいに協力する時、はじめてわれわれは栄えるのだという事実を、まず自覚しようではないか。そして、力と征服の考えに死して、一切を抱擁し、一切を許す愛の永遠の創造によみがえろうではないか。愛は、実在をあるがままに正しく見ることから流れ出る。そこで、われわれに次のことを教えてくれるのも、また愛である。すなわち、われわれ ー個別的に言えばわれわれのひとりひとり、集合的に言えばわれわれのすべてー は、善にあれ悪にあれ、この人間社会に行なわれることの一切に責任がある。だから、われわれは、人類の福祉と智慧の全体的発展を妨げるような条件を、ことごとく改善もしくは除去するように努めなければならないのである。

8月の初め、70年近く前、広島と長崎に原爆が投下された頃にちょうど読み終え、世界でいまだに戦いや敵対が続いている現状に思いを到したのだった。

巻末を見ると、この作品が刊行されたのは1965年2月。私が生まれたころ。
何かの縁を感じた。


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タグ:哲学
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