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ホドラー展 [アート&デザイン]

上野の国立西洋美術館で開催中の「フェルディナント・ホドラー展」を観てきました。

20141221 ホドラー展1.JPG
「感情Ⅲ」1905年、ベルン州美術コレクション

日本・スイス国交樹立150周年記念ということで例年になくスイス関連の作家の展覧会が開かれていますが、このホドラー展は日本では40年ぶりの大回顧展とのこと。

フェルディナント・ホドラー(Ferdinand Hodler、1853-1918)は19世紀末のスイスを代表する画家。私は今年はじめて、その名前を知りました。
スイスの芸術家たちが国外へ広く活動の場を求めたのに対し、ホドラーは生涯を通じて母国にとどまり、身近なアルプスの風景を描き続け、「国民画家」として愛されています。

会場構成は次のとおり。

PART 1 光のほうへー初期の風景画
1867年~1870年、トゥーンの風景画家フェルディナント・ゾンマーの工房で働く。
1872年、ジュネーヴ美術学校教授であるバルテレミー・メンに見出され、弟子入り。
1878年11月~翌年6月、マドリードに滞在(生涯で最長の外国滞在)。プラド美術館を訪れる。
この滞在により光の表現が変化した。陽光が画面に満ちた作品を描くようになる。

PART 2 暗鬱な世紀末?-象徴主義者の自覚
1885年、象徴主義の詩人ルイ・デンショーサルと出会い、その思想に影響を受ける。
1885年までに両親や兄弟のすべてを相次いで結核のため失った。そのせいか、憂鬱なイメージ、内在的に「死」に付きまとわれていた。
1890年、初の象徴主義的大作「夜」を完成。
1892年、「絶望せる魂」をパリの薔薇十字サロン展に出品。

PART 3 リズムの絵画へー踊る身体、動く感情
1895年、「オイリュトミー」完成。
オイリュトミーとは、ギリシャ語で「良きリズム」「調和あるリズム」
「人間には死が迫るからこそ私たちの生は躍動し、異なるリズムをもつのだ」
1900年、ウィーンとベルリンの分離派に加入。
1903年、ミュンヘン分離派に参加。

PART 4 変幻するアルプスー風景の抽象化
類似する形態の反復によって絵画を構成する「パラレリズム」(平行主義)を提唱した。
水面に映る反射(上下対称)や左右対称も平行主義の現れ。

PART 5 リズムの空間化ー壁画装飾プロジェクト
「木を伐る人」「草を刈る人」はともにスイス・フラン紙幣の絵柄になった。どちらも格好がどことなく不自然。他の絵では横たわる人物の脚が空に浮いていたり。
人々の身体の動きや自然のさまざまな事物が織りなす、生きた「リズム」を描き出すことへ向かった。

PART 6 無限へのまなざしー終わらないリズムの夢
1910年、新しく建設されたチューリヒ美術館の階段吹き抜けの壁画として制作要請された。
ゆったりと踊る青いドレスを着た5人の女性。手をつないで輪になって踊る輪舞のよう。

PART 7 終わりのときー晩年の作品群
健康状態の悪化により自室からレマン湖やモンブランを描く。
1918年、ジュネーブの自宅で死去。

20141221 ホドラー展2.JPG

左上:「シェーブルから見たレマン湖」1905年、ジュネーヴ美術・歴史博物館
左中:「ミューレンから見たユングフラウ山」1911年、ベルン美術館
左下:「オイリュトミー」1895年、ベルン美術館
右上:「トゥーン湖とニーゼン山」1910年、個人蔵
右下:「悦ばしき女」1910年頃、ベルン美術館

スイス人画家、ホドラーといい、ヴァロットンといい、どこか謎めいた画風の持ち主に思える。
二人の絵を見ていると音楽が聞こえてきそう。ただし、ホドラーがリズムでヴァロットンはメロディ。


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