菱田春草展 [アート&デザイン]
竹橋の東京国立近代美術館で開催中の生誕140年記念大回顧展「菱田春草展」を観てきました。(10月21日)
「黒き猫」(部分)1910年、永青文庫(熊本県立美術館寄託)重要文化財
たまたま目が合ってしまったら、きっと視線をそらすことができません。
(この黒猫さん、ラパンさんところの彼?にそっくり)
菱田春草(1874-1911)
作品をこんなにまとめて鑑賞するのは初めて。好きな日本画家の一人。
会場構成と代表的な作品は次のとおり。
1章 日本画家へ:「考え」を描く 1890-1897年
1890年は春草が16歳になる年で、東京美術学校(のちの東京藝術大学)に入学した年。
若いころから上手い絵を描いていたのですね。
2章 「朦朧体」へ:空気や光線を描く 1898-1902年
岡倉天心が美術学校の校長職を追われた際、横山大観や橋本雅邦らとともに教職を辞し、日本美術院の創立に参加した。
新しい美術表現に挑戦したのが、墨の輪郭を描かないいわゆる「朦朧体」と呼ばれた表現。
「王昭君」1902年、善寶寺、重要文化財
3章 色彩研究へ:配色をくみたてる 1903-1908年
1903年から大観とインドへ外遊、1904年には北米へ。
西洋顔料(ビリジャン、コバルトブルー、プルシャンブルー)や補色(緑と赤、青と橙など)を使用した。
「松に月」「躑躅」(公益財団法人遠山記念館)ともに1906年
「賢首菩薩」1907年、東京国立近代美術館、重要文化財
4章 「落葉」、「黒き猫」へ:遠近を描く、描かない 1908-1911年
失明の危機に陥り、いったん画業を中断していたが、1908年に制作を再開。
この晩年に描いたのが「落葉」の連作(1909-1910年)、それに続く「黒き猫」(上↑の絵)などの猫作品。
全体的に淡い色調と余白のある画面に、黒い猫やカラスを配置することで引き締め効果、アクセントとなっているようです。
【おまけ】
常設展示の特集「日本美術院」「東山魁夷」も見ごたえがあります。
特に魁夷の「秋翳(しゅうえい)」は空を薄いピンク色に染めるほどの真っ赤な紅葉の山を描いた作品。同じく魁夷の「白夜光」はフィンランドのクオピオの風景を描いた作品。静かな初夏の白夜のモミの林、湖の水面が画面を平行に横切る構図が印象的。
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菱田春草(1874-1911)
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1章 日本画家へ:「考え」を描く 1890-1897年
1890年は春草が16歳になる年で、東京美術学校(のちの東京藝術大学)に入学した年。
若いころから上手い絵を描いていたのですね。
2章 「朦朧体」へ:空気や光線を描く 1898-1902年
岡倉天心が美術学校の校長職を追われた際、横山大観や橋本雅邦らとともに教職を辞し、日本美術院の創立に参加した。
新しい美術表現に挑戦したのが、墨の輪郭を描かないいわゆる「朦朧体」と呼ばれた表現。
「王昭君」1902年、善寶寺、重要文化財
3章 色彩研究へ:配色をくみたてる 1903-1908年
1903年から大観とインドへ外遊、1904年には北米へ。
西洋顔料(ビリジャン、コバルトブルー、プルシャンブルー)や補色(緑と赤、青と橙など)を使用した。
「松に月」「躑躅」(公益財団法人遠山記念館)ともに1906年
「賢首菩薩」1907年、東京国立近代美術館、重要文化財
4章 「落葉」、「黒き猫」へ:遠近を描く、描かない 1908-1911年
失明の危機に陥り、いったん画業を中断していたが、1908年に制作を再開。
この晩年に描いたのが「落葉」の連作(1909-1910年)、それに続く「黒き猫」(上↑の絵)などの猫作品。
全体的に淡い色調と余白のある画面に、黒い猫やカラスを配置することで引き締め効果、アクセントとなっているようです。
【おまけ】
常設展示の特集「日本美術院」「東山魁夷」も見ごたえがあります。
特に魁夷の「秋翳(しゅうえい)」は空を薄いピンク色に染めるほどの真っ赤な紅葉の山を描いた作品。同じく魁夷の「白夜光」はフィンランドのクオピオの風景を描いた作品。静かな初夏の白夜のモミの林、湖の水面が画面を平行に横切る構図が印象的。
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タグ:日本美術
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