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没後50年回顧展 板谷波山 [アート&デザイン]

六本木の泉屋博古館分館で特別展「没後50年回顧展 板谷波山 光を包む美しきやきもの」を観てきました。

20140824 板谷波山展1.JPG
葆光彩磁葡萄唐草文花瓶、大正4年(1915年)頃

会場構成は次のとおり。

Ⅰ章 修業期
東京美術学校から石川県工業学校へ

東京美術学校で絵画、漆器、彫金、染物、織物と、各種工芸をやったことにより年をとって総合された。
石川県工業学校では彫刻科(廃止され陶磁科を担当)の教員をしていた。当時、国内では最先端の窯業技術の研究機関でもあり、そこで波山は陶芸家としての基礎を学んだ。
7年間の金沢時代に、最新のデザイン衣装、釉薬や絵付け顔料、陶工の研究成果に触れ、実際にロクロの技法を学び、窯での焼成などの体験も積んだ。
そして、陶芸家としてデビューすることを決心した。

草創期の波山窯ー飛鳥山焼、雅物(和様の什器)、初期釉下彩

Ⅱ章 高揚期
東京で陶芸家としてデビューする明治末期~「日本美術協会展」などの公募展で活躍する大正前期まで。

「マジョリカ」-東京高等工業学校の技術導入プロジェクト
マジョリカとは、錫釉を用いた低火度の陶器。当時、ドイツを中心に量産された。

波山が創造した「葆光彩磁(ほこうさいじ)」は薄いヴェールに覆われたような幻想的な印象を醸し出し、幽玄の美を感じさせる。
絵の付け方に面白味があり、友禅染めの手法を応用したもの。

アール・ヌーヴォーと波山
2000枚以上の素描(模写、スケッチ)からはどこに関心があったかうかがい知ることができ、参考出品として展示されていた花瓶等からは着想の過程が垣間見られた。

窯変と結晶釉-清朝スタイルの世界的流行

Ⅲ章 完成期
公募展の受賞を重ねた大正中期から、波山独自のスタイルである「葆光彩磁」に取り組まれていく昭和初期まで。

波山の古典研究-更紗、仏教工芸
大作の時代
波山芸術を愛した関西の数寄者-住友春翠と板谷波山
「葆光」-光包むうつわ

波山の焼物は皇室や財界で受容され、近代の宮廷文化の一翼を担った。
波山の作風からは日本のロイヤル・テイストの香りが漂ってくる。

Ⅳ章 円熟期
鑑賞の器から茶湯の器へ

単色釉ー中国官窯スタイルへの挑戦
ロイヤル・テイストー近代の宮廷文化と波山(皇室、財界人のサロン)
茶湯と波山-近代の茶道具 工芸家たちとの競作
陶胎への接近ー和様アール・ヌーヴォー、ふたたび

氷華磁(白い素地に透明の釉薬をかけた白磁)や裂紋青磁(大きめの貫入が入った青磁)、蚕殻磁(貫入がほぼ均一に入ったもの)、窯変朝暘磁(クリーム茶赤の微妙なグラデーション)など。

20140824 板谷波山展2.JPG

アール・ヌーヴォー様式をとりいれ、東洋の古典意匠との融合によって自らの芸術への昇華させた日本近代陶芸の巨匠、板谷波山(1872-1963)

格調高い美しさ、上品さ、優美さ。
私好みです。


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タグ:陶芸
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