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魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展 [アート&デザイン]

六本木の国立新美術館「魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展」を観てきました。

20140823 バレエ・リュス展.JPG
オーストラリア国立美術館所蔵の衣装約140点を中心に展示

バレエ・リュス(ロシア・バレエ)とは、20世紀初頭の動乱の時代に、舞踊と舞台美術の世界に革命をもたらしたバレエ団。
主宰者セルゲイ・ディアギレフ(1872-1929)がロシアのバレエ・ダンサーを引き連れて1909年にパリで鮮烈なデビューを果たした。

バレエの衣裳はもちろん、デザイン画、舞台の写真、公演プログラムなどが展示された広い会場のフロアは薄暗く、静かにバレエ音楽が流れており、バレエの舞台を歩きながら見ているかのよう。

ワンフロアで見わたせる会場は年代順に構成され、演目ごとにコーナー分けされていました。

Ⅰ章 1909-1913:ロシア・シーズン、歴史的エキゾティシズム
1「アルミードの館」
2「イーゴリ公」より「ポロヴェツ人の踊り」
3「クレオパトラ」
4「カルナヴァル」
5「シェエラザード」
6「ジゼル」
7「火の鳥」 イーゴリ・ストラヴィンスキーに作曲を依頼した
8「ナルシス」
9「ペトルーシュカ」
10「青神」
11「タマール」
12「牧神の午後」
13「ダフニスとクロエ」

1912-13は伝説の天才バレエ・ダンサー、ワスラフ・ニジンスキーが活躍した時代。
物語に出てくるロシア、アラビア、インドなどはヨーロッパの西側の人々にとって遠い憧れの国。これらの国の服をヒントに作られた色鮮やかで奇抜なスタイルの衣裳に人々は驚いた。

Ⅱ章 1914-1921:モダニズムの受容
14「蝶々」
15「金鶏」
16「サドコ」
17「奇妙な店」
18「ナイチンゲールの歌」 アンリ・マティスがデザイナー
19「女の手管(チマロジアーナ)」

この頃のバレエ・リュスの衣裳は、その頃の新しい芸術運動にかかわっていた。マティスやピカソなど、画家たちによってデザインされた。

Ⅲ章 1921-1929:新たな本拠地モンテカルロ
20「道化師」
21「眠り姫」 
22「オーロラの結婚」
23「牝鹿たち」 マリー・ローランサンが舞台美術を担当
24「女羊飼いの誘惑」
25「ゼフィールとフロール」 ジョルジュ・ブラックがデザイナー
26「鋼鉄の踊り」
27「頌歌」
28「舞踏会」 ジョルジョ・デ・キリコがデザイン担当

古いロシア・バレエへの尊敬と、新しいロシア社会への期待というディアギレフの二つの気持ちが表れている。
ロンドン・シーズンで利益を得るために、1921年、プティバの「眠れる森の美女」を「眠り姫」として再制作。しかし、成功は収めず利益は出なかった。
1923年末までに財政的基盤をモンテカルロに得て、本拠地を移した。

Ⅳ章 1929~:バレエ・リュス・ド・モンテカルロ
29「プルチネッラ」 ジョルジョ・デ・キリコがデザイン担当
30「予兆」
31「美しきドナウ」
32「公園」
33「フランチェスカ・ダ・リミニ」
34「永遠の葛藤」

強力なリーダーだったディアギレフが亡くなり(ずっと支援していたシャネルが総指揮のお金を出した)、バレエ・リュスは解散。残されたメンバーは世界中に散らばって活動を続けた。これが今のバレエの土台になっていると言われている。

総合プロデューサー、天才を見つける天才とも言えるディアギレフの存在、バレエ・リュスがなければ今日のバレエはなかった。ありがとう!


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タグ:バレエ
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