レオナール・フジタ(藤田嗣治)展 [アート&デザイン]
渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「レオナール・フジタ(藤田嗣治)展」を鑑賞してきました。
(レオナールという名前は、レオナルド・ダ・ヴィンチのフランス語名にあやかって付けた洗礼名)
「自画像」1929年
フジタ作品の国内最大級のコレクションを有するポーラ美術館の所蔵作品を中心にした展覧会。
油彩画、素描、フジタが最晩年に暮らしたフランスのエソンヌ県のメゾン=アトリエ・フジタに保管されているマケット(建築模型)などが展示されています。
これまで何度も見てきているフジタ作品ですが、今回は箱根のポーラ美術館で観たことのある作品群との再会を楽しみに出かけました。
会場構成は次のとおり。
Ⅰ モンパルナスのフジタ-「素晴らしき乳白色」の誕生
1913年、渡仏まもなくパブロ・ピカソのアトリエを訪れ、アンリ・ルソーの絵に衝撃を受けた藤田嗣治(1886-1968)。「絵画はかくまで自由なものだ」と。
第一次世界大戦後期にあたり、水彩で「女性」「子ども」「キリスト教」をテーマにした作品を制作。
「素晴らしき乳白色」と称賛された肌色は1920年代に生まれた。
その独特の乳白色がどう生み出されたのか、という謎が解けたのがフジタのアトリエでの撮影を許された写真家・土門拳の写真にベビーパウダーが写っていたのがきっかけだという。
乳白色の絵画下地にベビーパウダーが使用されていたのでは、とのこと。下地の上から細い墨の輪郭線を日本画で使う面相筆で描いた。
(もう一人、アトリエ撮影を許された写真家に阿部徹雄による写真も展示されている)
制作中のフジタを撮影した写真を見ていて思ったこと。
私には仕事中の写真がほとんどないなぁ。(最近は旅行中の写真も風景や食べ物とかばかりだし)
Ⅱ フジタの子どもたち-アトリエのなかの物語
戦争画画家の代表的な存在であったフジタは、第二次世界大戦後、戦争協力の責任を取るかたちで日本を去り、ニューヨーク経由でパリに戻った。二度と日本に戻らない決意で、パリを活動拠点とし子供を主題にした多くの絵画制作に打ち込んだ。
今回、私が気に入った2点。ハガキを買って帰りました。
「校庭」1956年、「朝の買物」1962年
思い思いの服装で体操する国籍不明の子供たちの伸び伸びした感じと、一方でベレー帽とケープがちょっと大人びた少女の遠くを見る視線が私の心を射止めました。
Ⅲ 小さな職人たち-フランスへの賛歌
「小さな職人たち」は、晩年(1958年秋~1959年)に描いた子どもの「職人尽くし」とも言える連作。
15㎝四方の小さなタイル状のファイバーボードのパネルに油彩で描かれ、フジタのアトリエの壁一面に飾られたもの。モチーフとなっているのは、フランスとくにパリを舞台とした様々な職業。左官、指物師、馬車の御者、ガラス売り、コンシェルジュ(アパートの管理人)、掃除夫などさまざま。
もう一つは「スペイン扉のためのパネル画」の連作。「小さな職人たち」に先駆けて1956年~1958年に制作された。
それにしても、フジタが描く女性も子供も感情を殺したかのように無表情なのが気になるところ。
日本とフランスの間で揺れ動く複雑な心境の表れでしょうか。
皆さんのポチッが励みになっています。クリックお願いしま~す↓
にほんブログ村
(レオナールという名前は、レオナルド・ダ・ヴィンチのフランス語名にあやかって付けた洗礼名)
「自画像」1929年
フジタ作品の国内最大級のコレクションを有するポーラ美術館の所蔵作品を中心にした展覧会。
油彩画、素描、フジタが最晩年に暮らしたフランスのエソンヌ県のメゾン=アトリエ・フジタに保管されているマケット(建築模型)などが展示されています。
これまで何度も見てきているフジタ作品ですが、今回は箱根のポーラ美術館で観たことのある作品群との再会を楽しみに出かけました。
会場構成は次のとおり。
Ⅰ モンパルナスのフジタ-「素晴らしき乳白色」の誕生
1913年、渡仏まもなくパブロ・ピカソのアトリエを訪れ、アンリ・ルソーの絵に衝撃を受けた藤田嗣治(1886-1968)。「絵画はかくまで自由なものだ」と。
第一次世界大戦後期にあたり、水彩で「女性」「子ども」「キリスト教」をテーマにした作品を制作。
「素晴らしき乳白色」と称賛された肌色は1920年代に生まれた。
その独特の乳白色がどう生み出されたのか、という謎が解けたのがフジタのアトリエでの撮影を許された写真家・土門拳の写真にベビーパウダーが写っていたのがきっかけだという。
乳白色の絵画下地にベビーパウダーが使用されていたのでは、とのこと。下地の上から細い墨の輪郭線を日本画で使う面相筆で描いた。
(もう一人、アトリエ撮影を許された写真家に阿部徹雄による写真も展示されている)
制作中のフジタを撮影した写真を見ていて思ったこと。
私には仕事中の写真がほとんどないなぁ。(最近は旅行中の写真も風景や食べ物とかばかりだし)
Ⅱ フジタの子どもたち-アトリエのなかの物語
戦争画画家の代表的な存在であったフジタは、第二次世界大戦後、戦争協力の責任を取るかたちで日本を去り、ニューヨーク経由でパリに戻った。二度と日本に戻らない決意で、パリを活動拠点とし子供を主題にした多くの絵画制作に打ち込んだ。
今回、私が気に入った2点。ハガキを買って帰りました。
「校庭」1956年、「朝の買物」1962年
思い思いの服装で体操する国籍不明の子供たちの伸び伸びした感じと、一方でベレー帽とケープがちょっと大人びた少女の遠くを見る視線が私の心を射止めました。
Ⅲ 小さな職人たち-フランスへの賛歌
「小さな職人たち」は、晩年(1958年秋~1959年)に描いた子どもの「職人尽くし」とも言える連作。
15㎝四方の小さなタイル状のファイバーボードのパネルに油彩で描かれ、フジタのアトリエの壁一面に飾られたもの。モチーフとなっているのは、フランスとくにパリを舞台とした様々な職業。左官、指物師、馬車の御者、ガラス売り、コンシェルジュ(アパートの管理人)、掃除夫などさまざま。
もう一つは「スペイン扉のためのパネル画」の連作。「小さな職人たち」に先駆けて1956年~1958年に制作された。
それにしても、フジタが描く女性も子供も感情を殺したかのように無表情なのが気になるところ。
日本とフランスの間で揺れ動く複雑な心境の表れでしょうか。
皆さんのポチッが励みになっています。クリックお願いしま~す↓
にほんブログ村
タグ:フランス絵画
わあ、エソンヌのアトリエ、行ってみたくているのです。フジタの絵は私大好き。。ただ、パリからそのアトリエのある田舎へ行こうとするとかなり面倒なので、今に至っています。
日本に失望してフランス人になって晩年を生きたフジタ。日本への愛憎の思いが交差するから、無表情だったりするのかも知れませんよね。私は彼の描く猫の絵が大好きなんですよ。
日本でもやっとフジタの絵が観られるようになりましたね。
by ラパン (2013-10-04 17:34)
★ラパンさん、そう、猫もたくさん登場しますよね。表情豊かで。
フジタの絵、結構日本各地に所蔵されているようですよ。
by いっこ (2013-10-05 11:10)